これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

IT下請けが幸せになれない理由

ふと思ったのです。ITシステムの受託開発下請けが、なかなか幸せになれない理由について。


私自身、下請け企業で8年間働いてきました。そこで感じるのは、我々のような下請け企業って「常に一定の質で何らかの価値を提供できている」わけじゃない、ということです。
なんでそう思うかというと、顧客(元請け)に提供できるサービスの質、これが個人に依存していると感じるからなんです。
例えば、ある優秀なエンジニアAさんが担当し、プロジェクトで良い結果が出たとします。じゃぁ、と思って、そのAさんが所属する企業に、再度、同じような成果を期待して発注したとします。ところが、そこで新たに担当になったBさんは、Aさんほどの成果を出せませんでした。こういうのは非常によくある話だと思います。
所謂、職人の世界なんだと思いました。腕の良い職人が手がければ良い結果になるし、反対に職人の腕が悪ければ、それ相応の結果になるのです。


これを企業としてみたとき、私は「顧客の期待する質を一貫して提供できる事業」として成り立っていないように感じるのです。
エンジニア個人としては、腕を上げ、良い結果を出すことで評価も高まっていくでしょう。自分の市場価値を上げていくことも可能でしょう。顧客の信頼も得ることができるでしょう。
でも、それはその企業の「顧客の期待に応える力」ではないのです。一時的に、その人が居る間だけ、その人の担当する一部の顧客に提供できるようになっているだけにすぎません。これでは、継続的に企業としての価値を高めていくのは、難しいのではないでしょうか。
また、競合他社に目を向けたとき、企業として差別化できるポイントもなかなか見つからず、それはつまり顧客から見たときに「代替可能」ということになります。代替が困難なのは「人」であって、「企業」ではないのです。代替可能なものに高い対価を支払うことは、ありえないでしょう。
こういったことは、利益を生み出す大きな要素であることは間違いないと思いますので、なかなか厳しいなぁ、と思うのです。


人に依存せず、顧客の期待する価値を一貫して提供できるためには、以下の2つが必要だと思われます。

  1. お客様にどういった価値を提供しようとしているのか、という共通認識を全員がもっている
  2. その価値を一貫して提供するための仕組みとプロセスがあり、全員がそれに従って行動する


では、この2つについて、ITシステムの受託開発下請け企業はどうでしょうか。
1つ目の「お客様に提供する価値」というのは、とても難しい。いや、ある意味簡単かもしれません。「専門性をもった労働力」の提供だと思いますので。企業として、色々と理念やミッションを掲げることは可能だと思いますが、実際、下請け企業が提供しているものは「労働力」になるのではないでしょうか。そうすると、お題目と実態にズレが出てきます。全員が「共通認識」持つのは困難であるように思います。


2つ目について。
提供しているものが労働力だとすれば、その時の「ニーズに応じた労働力」でなければなりません。そして、そのニーズは、言語・開発環境・顧客の業務領域などに応じて、様々なバリエーションがあります。エンドユーザーのことを考えれば、本当は言語なんかどうでも良いはずなのですが、下請け企業のお客様は元請け企業なのです。そこで用意(要求)されている道具を使いこなしてみせなければならないのです。
そして道具が違うということは、その道具を活用するための適切なプロセスも変わります。そこを上手く各エンジニアはアジャストしながら作業するわけですが、それはまさに個人の力であり、職人技なのだと思います。
こういった状況下では、企業が自分達で作り上げた「仕組みとプロセス」を持ち、少しずつ育ていくことが構造的に難しいのではないかと。そして、仕組みとプロセスを持ち得ないが故に、企業として顧客の期待レベルに一貫して応えていく、というのが難しいように思うのでした。


あ、もしかしたら、もっと特定の領域に絞り込むことができれば、差別化した労働力の提供ができるかもしれません。例えば、うちは「Ruby on Railsを使ってWeb2.0っぽいWebアプリケーションを開発するエンジニアを提供できますよ」とか。これだけ絞り込めば、道具のバリエーションも少なくなりそうだから、一貫した質を提供するための仕組みとプロセスも持ちやすいような気がします。


#何だかネガティブな内容ですが、私自身はネガティブな気持ちで書いたわけではないんですよねぇ。
#私なりに現実を解釈してみたら、こんな風になったという感じですか。