これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

良い上司

某本を再読していて、ふと、どんな上司の行動が自分にとって嬉しいものだったかな〜、と思いをはせる。

やたらと厳しかった

上司ではないけど。
研究室の教授が企業あがりの人で、他の教授に比べて非常に厳しかった。当時は嫌だったが、今から振り返ると「成果が出る基準に達する」ためには必要な厳しさだったなぁ、と感じる。なんかこの人のおかげで、人生のスイッチみたいなものが入った気がする。

深夜駆けつけてくれた

プロジェクトがリリース直前にトラブって、新人だけどリーダーっぽいことやってた俺様、涙目。で、上司に電話をしたら駆けつけてくれた。いざという時に助けてくれるのは、嬉しいものだと思った。
イイハナシダナー(ぇ

プロジェクトが障害を出したときの一言

自分の上司だけじゃなくて、お客様(元請先)の上司の人だな。
ええと、なんだっけ。「順調な時はチームが上手くいくのは当たり前。大変な時にどれだけ纏まって行動できるかで、本当にいいチームかどうかが分かる。頑張ろう。」みたいな感じだった。ひそかに感動した。これって、ちょっとしたビジョンの提示だと思うんだよね。

任せてくれる

これも自分の上司じゃなくて、お客様(元請先)のプロジェクトリーダーの人。
実際にプロジェクトをどう進めるかを、ほぼ完全に任せてくれた。こういうことがやりたいんです的な要望も、多分、厳密に言えばお客様のルールに沿わない部分もあったはずなんだけど、受け入れてくれたわけで。これは嬉しい。

ちゃんと話を聞く

他社さんのリーダーを見てて感じたことで、「ああ、この人はちゃんと話を聞いてくれそうだな〜」というのがある。こういうのは信頼の第一歩だよな、と思った。


で、つまり、こういうのが自分にとっての理想の上司像なわけですか。で、自分は上司としてこの辺を目指さないとならんわけですか。