これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

次の一手は良い状態のときにこそ

将棋をしていて勝てるときというのは、次の手がみえるものでして。逆に負けるときは、相手の手に反応するだけの展開になるわけでして。
有利な展開だと、次から次に手が見えてくる。で、更に優勢になり、またまた次の手がry
では、負けているときはどうするのか、と。私の場合は、局所戦は諦めて、別のところで優位を築こうとするのです。上手くいくと、相手がプレッシャーに負けて、こっちの優位なところに主戦場が移ったりして逆転することも。とはいえ、相手がミスらなきゃそのまま負けるのだけど。


で、思うんですよ。
将棋に限らず、仕事でも何でも、もっと良い展開にもっていきやすいのは、調子のいいときなのだと。今がいい感じなら、なおのことより良い状態を求めて変化した方がいいのだと。
悪くなってから改善しようというのでは、遅いのですよね。悪い状態というのは、現状維持のための活動で必死になってしまうので、改善どころじゃない。
やるとしても、局所戦を諦めるように、どこかを一旦犠牲にする勇気が求められるわけで。それで上手くいくようになると、すげー気持ち良いけど、でも、まぁ、やっぱ大変。


だからね。
いまが良い状態であるなら、それで良しとするのではなく、もっと良い状態を目指して次の一手を打ちたいものだ、と。
やりやすい時にやらず、悪い時になってから何とかしようとするのでは、いかにも辛い。