これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

読書履歴:史上最強の人生戦略マニュアル(1)

史上最強の人生戦略マニュアル
フィリップ・マグロー
きこ書房
売り上げランキング: 138
おすすめ度の平均: 3.5
2 内容は良いみたいです
1 翻訳の力不足
3 読む人を選ぶ本
5 硬派な自己啓発本
1 内容は「7つの習慣」の7分の1以下?

勝間和代さん翻訳の本。結構よさそうな内容のようなので、ちょっと何回かに分けて、気になるところをピックアップしながら追いかけてみようと思う。

「第一章 問題がひとりでに解決することは、絶対にない」より

私は本当に、自分が望むところに向かっているのだろうか?それともたださまよっているだけなのだろうか?

今日私がしていることは、本当に私がしたいと思っていることなのだろうか?それとも、昨日も同じことをしたから、今もそうしているのだろうか?

私が手に入れたものは、本当に自分が求めているものだろうか?それとも、簡単で安全で、私が本当に求めていたものほど恐ろしいものではないから、これで我慢しているのだろうか?

自分の本当に望むことを追い求めるのは、意外に勇気のいることだ。何故かはよく分からないけど、どうもそのようだ。夢などを追いかけるというのは、リスクの高い行為であることが多いので、失敗することへの恐れであったり、あるいは失敗するかもしれないことを愚かしいと思われることを恐れたりするのかもしれない。
だけど、多分、やりたいことをやらずに、色んなことを気にして行動を起こさず、意に沿わないことに耐えながら毎日を過ごさなければならないとき、実は、人生トータルで見たときにリスクの高い行為になっているかもしれない。
闇雲にやればいいということではない。ただ、やる前からリスクのみを論って賢そうにふるまう行為は、本当に人生においてプラスになるのだろうか。もっと、自分の望みに素直になっていいように思う。失敗が怖いなら、失敗に備えればいい。再チャレンジできる状態であれば、それは失敗ではないのだ。

行動を選ぶと、結果を選ぶことになる

結局のところ、結果というのは行動の延長線上にしかない。どんな行動を選択するかが、その先の未来を大きく変えてしまうのだと思う。望みを諦め我慢しながら日々を生きることを選択するのか、それとも欲する未来を得るために(でも失敗するかもしれない)一歩を踏み出すのか。
私たちは、そのどちらも選択することができる。

自分の生き方や考え方、態度が「正しい」かどうか自問する代わりに、それでうまくいっているかどうか自問してほしい

人は時に、自分の主張の正しさにこだわる。だけど、多くの議論を見てきて思うのは、正しさというのはそれを訴える文脈とワンセットになってはじめて「正しくなる」ということだ。文脈が変われば、何が正しいかもまた変わるのだと思う。

私は、あなたの主張に対してアンチ・テーゼを提出しているにすぎません。ひとつの正義に対して、逆の方向に等量等質の正義が必ず存在するのではないかと私は思っていますので

某提督*1の名言であるが、これはその通りなのだと思う。だから、正しさを求めるのは時として、争いを生み出すのみで問題を解決しないことがある。
上手くいっているかどうかで判断する、という本書の戦略は正しい(!)。
私の主張はこうだ。あなたの主張も分かった。では、上手くいく方法を考えようじゃないか。
そんなスタンスでありたいものだと思う。7つの習慣でいうところのwin-win or no dealの原則だ。

*1:魔術師だとか奇跡の〜だとかペテン師だとか色んな呼び名があるw