薄い本だったのだが、面白かった。フィンランドメソッドって、多様化する社会で効果的に生きるために有効な手段じゃないだろうか。
コミュニケーション上の問題
意見の不在
コミュニケーションを取ろうとしたときに、まず問題になるのが、そもそも意見がないというケースだ。
情報量が多くなったせいだろうか。自分で考えなくても、何となくモノが言えてしまう。考えている気になって、全く考えていないということがありそうで怖い。自身の価値観に根ざした意見をもっていないと、語る内容は表面的で薄っぺらいものになってしまう。その場を無難に収めるにはいいのだろうけど、建設的なコミュニケーションには程遠いだろう。
論理の不在
最近の日本社会をみてても感じるのだが、価値観が多様化したせいか、コミュニケーション上の衝突が多く*1、合意形成も難しくなってきているような気がする。
自身の価値観に基づいて意見を述べるのは悪いことではない。しかし、その意見を「感覚」のみを根拠に語ってしまうところに、上手くいかない原因の一つがあるのではなかろうか。感覚は、その人固有の貴重な個性であるが故に、他者にはなかなか理解できないものであったりする。ある人の常識が、他方にとっての常識でないのも、それまでに培った感覚が異なっているからだろう。
多様な価値観や感覚がある中で、建設的にコミュニケーションしていくためには、そこに論理という共通言語が必要だと思う。論理的に表現されていれば、それを見聞きした他者が理解することができる。
表現力の不在
意見もある、論理もある。しかし、例えそうであったとしても、それが相手に伝わらなければ全く意味がない。意見も論理も、外へ向けてアウトプットするまでは、社会においては存在しないも同じことだ。また、適切に表現することができなければ、自分の意図と異なった理解をされてしまう。ミスリードのない伝え方というのはないのだけど、比較的マシな伝え方というのはあるのだと思う。
意見も論理も、そこに適切な表現力が加わって初めて価値を放つようになる。
フィンランド・メソッド!
フィンランド・メソッドが全てを解決するわけではないだろうが、より良い方向に改善するにはいい手段であるように思う。
フィンランド・メソッドは、2つのフェーズに分かれているようだ。1つ目は、多様な社会で生きるために個人レベルで取り組む準備段階。2つ目は、1つ目をクリアした個人同士が上手く協調していくための段階。
個人レベルで取り組む準備段階
発想力、論理力、表現力の訓練。簡単に言ってしまうと、
- 発想力:マインドマップ(カルタ)
- 論理力:どうして?なぜ?の問いかけ(ミクシ?)
- 表現力:作文
ということだ。
マインドマップは言うまでもなく、考えを自由に広げていくのに適した考具だ。キーワードを繋げならがらマッピングしていくと、自分の思考が見える化されていい。見えるようになった自分の思考がインプットになり、さらに新たな発想が生まれてくる。
どうして?なぜ?で考えを深めていく手法も、トヨタの5Whyなどでおなじみの手法だ。なぜ?という問いかけは、物事の因果関係を明らかにしていくことであり、それはある物事の論理的な構成を探っていくということでもある。
作文については、もやっとした思考を明確な形に落とし込む訓練になる。これはブログなどを書いていればよく分かるけど、単に考えているのと、文章として表現するのでは全然違う。実際に考えていることを文章に落とし込んでみると、曖昧に済ませていたところで詰まってしまう。また、これが口頭だと勢いでごまかせてしまったりするのだけど、文章ではそうもいかない。思考を明確に表現するために、作文を繰り返すというのはいいと思った。
1つ1つはありふれたものだけど、この3つがワンセットになっているのが素晴らしい。発想し、思考を深め、表現するという一連の流れが含まれている。
個人同士が上手く協調するための訓練
加えて、互いに上手く協調していくための訓練として、
- 批判的思考
- コミュニケーション力
がある。
批判的思考とは、ある意見に対して「本当にそうなの?」と問いかけることだ。これは、他者の意見を鵜呑みにせずに、自分で考え始めるきっかけを与えてくれるだろう。他にも、自分自身の意見に対して同じ問いかけをすれば、別の視点を見つけることができるかもしれない。ラテラル思考の訓練にもなっている。この訓練を通して、様々な視点の存在を知ることができるし、また存在してもいいのだということを理解することができそうだ。
コミュニケーション力は分かりやすい。次のルールを守りましょう、というもの。
- 他人の発言をさえぎらない
- 話すときは、だらだらとしゃべらない
- 話すときに、怒ったり泣いたりしない
- 分からないことがあったら、すぐに質問する
- 話を聞くときは、話している人の目を見る
- 話を聞くときは、他のことをしない
- 最後まで、きちんと話を聞く
- 議論が台無しになるようなことを言わない
- どのような意見であっても間違いと決めつけない
- 議論が終わったら、議論の内容の話はしない
このルールを守る癖ができれば、きっと「議論慣れ」できる。議論の場で激しく意見をたたかわせたとしても、それが終わればまた普通にコミュニケーションできる。それってとても大切なのだけど、時折、議論の内容を引きずってしまうケースを見てしまう。また、議論それ自体が非効率的であったり、支配的であったり、まとまりがなかったりと、上手くいっていないケースもある。我々は議論するための前提すら出来上がっていないのかもしれない。
しかし、フィンランドでは、こういった訓練を小学校から始めるという。なんとも凄いことだ。本書のあとがきには、著者がフィンランドの子供に詰め寄られて、たじたじしてしまったというエピソードもあって、こりゃ大したもんだねぇ、と思ってしまったわけです。
*1:衝突自体が悪いわけではなく、その先にあまりよろしくない結末が待っていることが多いような・・・