これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

「ルールが欲しい」というルール

前回からの続きです。

今回も「思考は刺激反応連鎖によって自発する」についての話です。
少し復習しておきます。
まず、刺激反応連鎖とは、

前の行動をきっかけとして、連なるように次の行動が自発する

ことを言います。


思考の場合、「ある刺激」を元に「決まった思考のクセ」が起きやすい、ということが言えます。
例えば、

条件:部長が客先から戻ってきた。
思考:確か先週もめてた案件の打ち合わせだったな。
思考:心なしか機嫌が悪そうに見える。
思考:近くにいると八つ当たりされるかもしれない。嫌だなぁ。

といった思考をするかもしれません。


こういった思考は、自己ルールの生成も同時に行っています。

  • 先週もめてた案件の打ち合わせだから、機嫌が悪いはずだ
  • 機嫌が悪い部長の近くにいると、八つ当たりされるかもしれない

などです。
そして、私たちはルールに沿った行動を取ろうとしますので、生成されたルールに従い、次のような行動を取るかもしれません。

行動:タバコを吸いに行く
結果:部長の八つ当たりを避けることができた!(と思い込む)


このようなメカニズムが分かったところで、これをどうすれば私たちの日常の改善に役立てることができるのでしょうか。


思考も行動ですので、行動を変えるためのポイントは2つです。
即ち、「条件を変える」または「結果を変える」です。


これまでに条件を変える3つの方法をお伝えしてきました。


というわけで、今回は「結果を変える」ことについて考察したいと思います。
しかし、思考の刺激反応連鎖に関して「結果を変える」ということを改めて考えてみると、結構難しいのです。


まず、思考の刺激反応連鎖を繰り返させている結果は何か、と考えてみると、それは「ルールの想起」そのものだと思われます。
私たち人間にとって、ルールを想起することは、まさに「いいこと」なのです。
私たちが生まれ、成長していく環境そのものが、ルールを覚え、活用していくことを「いいこと」として学習するよう促しているからです。


最初は、両親から

  • そんなことしちゃ、メッ!
  • よくできたね〜
  • これはリンゴ

など、言語を使った育児・教育を受けます。
幼稚園や学校に通うようになると、更に、言語を使って学習する機会が増えますし、そうするように促されます。


言語による学習は、全てではないですが、そのほとんどがルールの学習に他なりません。
そんな環境で育った我々は、自然、

  • ルールを覚え、思い出すことは良いことだ

というルールを獲得することになります。


そんなわけで、如何にネガティブなルールであろうとも、どんなにネガティブな感情を引き起こすものであったとしても、そのルールを想起することは「いいこと」になります。
ではどうするのかというと、以下に尽きます。

自分の行動の背後にあるルールの存在に気づき、
そのルールの妥当性を意図的にチェックする


つづく