これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

橘玲さんの「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」を読みました。
以前、同書に言及したブログについて取り上げたのですが、本の内容は気になったので読んでみた、と。


残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法
橘玲
幻冬舎
売り上げランキング: 74
おすすめ度の平均: 3.5
2 ネタ切れでしょうか?
4 コップの中の嵐
4 あーあ、言っちゃった、という感じでしょうか
2 うがった見方だと思います
4 ハウツー本というより読み物として


感想としては、最終的な結論は同意なのですが、やはり以下の点については「?」がついてしまいました。

  • 能力は遺伝、および子供時代の同年代の子供同士との関わりによって決まり、それ以降、増強することはできない。

まず、この本でいうところの「能力」とは何か、それがよく分かりませんでした。
能力は変わらないという主張をしているのは分かるのですが、それ以上に、「環境によって私たちの行動(振る舞い)が変わる例」がたくさん出てくるのです。
行動分析学をかじった人であれば、「そりゃそうなるだろうね」と言いたくなると思います。
環境によって行動が変わってしまう例がたくさん出てくるせいか、この本で言っている「能力は変わらない」という主張が、どういう位置付けになっているのか分からなくなってしまいました。
もしかしたら、私のミスリードかもしれませんが、どうにもこう、スッキリとしない感がありました。


ただ、これについては次の本を読むことで、明快になりました。


人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論 (文春新書)
日高 敏隆
文藝春秋
売り上げランキング: 119148
おすすめ度の平均: 4.0
3 大胆なタイトルのわりには拍子抜けの展開・・・
2 全く不十分な内容
4 遺伝か環境かの線引き
4 ミもフタも無さを、どう避けるか?
5 遺伝も環境も


この本の私の解釈は、以下の通り。


私たちは人間という「種」として、みんな共通の「学習システム(遺伝的プログラム)」を持っている。
どういうタイミングで、どういった類のことを学習するのかは、遺伝的にプログラムされているのだけど、実際に学習するためには何らかの環境因が必要である。
どれだけ多様な学習ができるかは種によって違うのだが、人間はその多様さの幅が極めて広い。
違う人間の環境因が同じなることはありえず、故に私たちは多様な個性を持つに至った。
また、この遺伝的プログラムに個体差があるかどうかについては、著者は【個体差は無い】と主張している。
ただ、巻末の討論では、遺伝的プログラムを様々な形で実現するための、何らかの遺伝的ではない社会的なプログラムが、遺伝的プログラムの上層にあるのではないかという議論もあり、この辺りはまだまだ検討の余地があるようだ。
いずれにせよ、私たちの個性や能力といったものは、遺伝子(遺伝子と遺伝は違うらしい)のみによって決定されているわけでもなく、環境によってのみ決定されているわけでもない。
その両者の関わり合いによって、今の私たちが存在しているのである。


私としては、非常に納得のいく内容でした。


ちなみに、「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」で主張している、

  • 隔離された社会においては、一度評判が確定すると、それを覆すのが非常に困難。それこそが生きづらさの原因であり、日本の自殺者が多い理由でもある。
  • 故に、隔離された社会から飛び出して「好きなことを仕事」にしつつ、それで収益を生み出す方法(ビジネスモデル)を何とか見つけ出すのが、この世界で生き延びる(幸せになれる)唯一の方法である。

というのは、私も同意したいところです。
遺伝云々以外の所は、大変良い本だと思いました。