これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

理想という名の呪縛、そして僕たちの生き方。

理想を目指す生き方って、辛くないですか?


最近、理想なんか目指さない方がいいよって思っています。
コーチを職業としてやっていると、周りには結構、自己啓発的なメッセージが溢れます。最近目にするもので、ぱっと思いつくのは、

  • 自分らしく
  • ありのままの自分
  • 自分軸

等でしょうか。
これはこれで、素晴らしいものではあるのです。メッセージを発している人の意図をある程度正しく汲み取り、自分に応用できる人にとっては有益なものだと思います。


ただ、多くの人にとっては呪いにしかなっていないのではないかと。例えば、「ありのままの自分で良いんだよ」と言われた時、

「ああ、そうか、そのままで良いんだ。飾らなくて良いんだ。」

と安心します。安心はするのですが、次第に辛さを感じるようになります。何故かというと、「飾りたい自分」も確かに存在するからなんです。


本来はその辺りまで含めて"ありのまま"だと思うのですが、そこまで理解できるのは「専門家」だけです。多くの人にとっては、結局救いになっていません。理想が提示されたとき、殆どの人は自己否定から入らざるを得ないのです。


自分ではない何者かになろうとする試み。それが自己啓発等の世界に蔓延する病いだと思います。理想なんか目指さない方がいいです。


僕たちは、"あの成功者"のようにはなれないです。
僕たちは、"ありのままの自分"にはなれないです。
僕たちは、"いつも愛に生きる"ことはできないです。


あきらめましょう。


今の自分であることを受け入れればいいです。今の自分というのは、多分、

不十分なところやできないことがたくさんあって、
人から認められたかったり、誰かと比べて劣等感を感じたり、
過去に起きた出来事に悩んだり、未来に怯えたり、

たくさんの「良くないところ」があるんだと思います。


まー、いいじゃないですか。
それが人間です。


僕は自己重要感という欲求がかなり強いです。自分に価値を感じていたい、賞賛されたい、認められたい。そんな欲求です。

この欲求を心理学的な観点から分析していけば、条件付きの自己愛を設定していることになり、心理的な苦しさや行き詰まりの原因となります。だから、条件を緩め、なるべく無条件に自分を認められるようにしましょう、・・・となるのです。

これはこれで1つの見方なのですが、でも、実際のところ欲求に良いも悪いもないです。良い悪いというのは、それを見る人の色付けでしかないです。自己重要感がポジティブに働けば向上心になりますし、ネガティブに働けば劣等感になります。

それだけのことです。

自分の欲求の振る舞いを知っておいて、問題になりそうな時に対処すればいいんです。


自分を変えようなどと思わないことです。それよりも「今の自分」を活用する方が遙かに簡単です。今の自分でもできることを考えましょう。欲求を押さえるよりも、欲求を原動力にすればいいです。

欲求がどのように問題を引き起こすかは、ある程度パターン化されていますので、それを知っておけば対処することも可能です。


完全な理想、完全な自由を目指すのは止めましょう。今の不完全な自分、理想じゃない自分からはじめればいいです。

僕たちは「そこそこの自由」なら、比較的簡単に手にすることができます。それは結構、楽しい生き方だと思います。


僕は一部の人しか実践できない100点の方法よりも、もう少しだけ多く人が実践できる70点の方法の方が価値があると思っているんです。