これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

知の目覚め(3):喩えることができれば、思考は新たな景色が見せてくれる。

大学の研究室に入ったばかりの頃の話です。

 

教授「○○で××なんだけど、君はどう思う?」

 僕「!?…!…??…えー…△△でしょうか…」

教授「いや、そうじゃなくて!×△×★□○…」

 僕「」

 

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photo credit: CarbonNYC via photopin cc

教授から何かを問われて、何となく分かるような分からないような、でもハッキリと自分の意見にできるほどではない…って状態で思考が停止しちゃいました。

どうにか答えようとしているのですが、何も頭に浮かんでこないんですね~。それでよく分からないまま当てずっぽうで答えてみると、見当外れすぎて泥沼化しちゃったり。

 

思考とは記憶との照合作業である

僕たちは、対象に関する参考材料が少なすぎると、それについて考えることができません。何か考えるというのは、要は記憶との照合だったりするのです。

自分の頭の中にある記憶と目の前の事象とを照合し、関連性が高そうな情報を引っ張りだして思考を始めます。更には、その思考の過程においてさえも、絶えず関連しそうな情報を記憶から引っ張り出し、新たな参考材料としています。

そうやってある一定の解釈にたどり着き、僕たちはようやく自分の答えを得るわけです。

ですので、記憶から参考材料を引っ張りだそうとして出てこないときは、考えるためのベースがないので考えたくても考えられない状態に陥ります。

 

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photo credit: neilslorance via photopin cc

問題1.情報不足でそもそも照合できない

この場合、問題は2つあります。

1つ目は、そもそも記憶に参考とすべき情報が入っていないケースです。単なる知識不足ですね。

ただ、普通にある程度の年数を生きていれば、参考にする材料が無いなんてことはあまりありません。専門知識が必要な場合は例外ですが、大抵の物事については理解の手がかりとなる情報が記憶の何処かにあったりするものです。

 

問題2.記憶から情報を引っ張り出せない

2つ目の問題は、記憶から情報を引っ張り出すことに慣れていないケースです。考えることが苦手で困っている人は、ほとんどこっちのケースではないかと思っています。

先ほど書いたように、僕たちの記憶にはたくさんの情報がありますが、それを考えることに上手く活用できていないのです。

ここを改善するだけで、思考停止してしまうことをかなりの確率で避けられるのではないでしょうか。

 

ですので、上手く考えられない~という人は、あれやこれやと知識・情報を入れるのもいいけど、それよりも入れた情報の引っ張り出し方を改善してみるといいです。

 

「思考の補助線」を使って思考を促す

補助線は新たな景色を見せてくれる

上手く情報を引っ張り出すためには、考える時に「思考の補助線」を使います。思考の補助線という言葉は、岡田斗司夫さんが使っていて「なるほど上手いこと言うなぁ」と思ったので、僕も使うようになりました。

 

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photo credit: petercat.harris via photopin cc

補助線というのは、数学で図形問題を解く際に、考えやすくするために線を1~2本追加してみましょうってやつです。補助線を引くだけで、途端に目の前の問題が解決可能な簡単なものになったりします。

それと同じように、今から考えなければならない対象についても、補助線に該当するようなものを使うことで、もっと考えやすくなるんですね。

 

喩えることができると思考がススム

では、思考における補助線とは何でしょうか。色々ありますが、今日お伝えしたいのは「喩えること」です。思考対象の物事を何か喩えてみることは、思考を促す上で非常に有効です。

 

少し試してみましょう。

昨日は参議院選挙ということで、色々とそれ関連のニュースが飛び交っています。前回の衆議院選挙と合わせて、自民党が躍進し、反対に民主党は凋落してしまいました。この民主党が議席を激減させてしまった事象について、どう考えるといいでしょうか?(※この記事を書いたのは2013/7です)

単純に考えると、政権運営に失敗して国民から見放されたんだ、といった回答になるでしょうか。それはそれで間違っていませんが、ここで喩えを使ってみるともっと色々考えられます。

例えばこんな感じです。

  • 民主党とは新卒同然の派遣社員であり、国民は経営者である

この喩えを元に、次のように考えることができます。

 

民主党=派遣社員と考えてみる

民主党は、以前自民党が支持を失った時に、行き先を失った支持の受け皿として必要とされました。ところが、実際に政権を運営してみると上手くいかなかった。

それもそのはず。未経験の仕事で雇われて上手くいかないのと同じように、未経験の政権運営を最初から上手くできるなんてのは不可能だから。派遣社員は正社員と違ってしっかりとした教育も受けられませんしね。

派遣社員は正社員と違って、必要に応じて雇うことができます。期待していた程仕事ができなかった民主党は、契約更新のタイミングで契約を切られてしまいました。”便利な労働力”扱いをされてしまったと言えます。

しかし、そう考えてみると派遣社員的な投票行為をしていては、正社員のように育てることができないわけで、そうすると僕らは適切な政権交代の受け皿を持つことができないわけだけど、それで大丈夫なんかな~と思ったりもするのでした。

 

…といった感じでしょうか。この喩えが適切かどうかはさておき、派遣社員として喩えてみることでこのようなことを考えることも可能なのです。

 

喩えから考えるための材料を得る

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photo credit: theloushe via photopin cc

喩えは練習しないとなかなか慣れません。最初は多少強引でも、観測した事象を何かに無理矢理喩えてみてください。

民主党と派遣社員のように、一見、全く無関係の2つの概念を関連させてみることで、派遣社員に関する知識・情報を民主党を理解するために使うことができます。考えるための参考材料を手に入れているわけです。

 

あくまでも喩えであることを忘れない

こうのような喩えによって、物事のある側面を自分なりに解釈することができます。あくまでも”ある側面”であることに自覚的であることは非常に大切ですが、ともあれ何らかの意見を述べることができるようになるのです。

また、更に言えば、「適切な喩え」を見つけられると、その物事の極めて本質的な部分に迫ることができます。物事への理解力の1つは、適切な喩えを見つける能力なのです。

思考の補助線としての「喩え」。僕たちが自分の思考力を存分に発揮するためにも、試してみていただけると嬉しいです。