これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

2つの話を勝手に脳内でくっつけてみる

id:nowokayさんの興味深いエントリを読んだ。
プログラミングが不要になることはあるのか? by きしだのはてな

プログラムの対象になる要求というのは「非論理的」です。で、プログラムというのは「論理的」です。
で、プログラミングというのは「非論理的」なものを「論理的」に変換する作業です。

なるほど、確かに。そうするとOOPAOPみたいなプログラミング技術ってのは、非論理的→論理的の変換作業をなるべく容易にするためのプログラマの武器なんでしょうか。(4/1文章が変だったので修正)

続いて平鍋さんのエントリを読む。
AOSD アスペクト指向をユースケースに、日本語版出来。 by An Agile Way(4/1 Link先のURLを修正)

ソフトウェア分析・設計の新技術は、「実装レベルから発見される」ことが非常に多い。オブジェクト指向も、もともとは単なる実装技術、プログラミングの要素であった「オブジェクト」が、設計レベル、さらに分析レベルにまで「侵食」して、現在の体系になったものだ。そして現在、オブジェクトの概念は分析・設計・実装、とシームレスに繋がるようになった。(そんなに簡単ではないが、そう見える)

そういえば、要求を仕様や設計に落としていく上流工程の作業も、非論理的なものを論理的なものへ変換する作業だよなぁ・・・と思いました。で、実績のあるプログラミング技術というのは、つまり非論理的なものを扱うということに関して実績があるということであり、それが同じく非論理的なものを扱う上流工程に応用されるのは、ある程度必然な流れなのかもしれないなぁ・・・とぼんやり考えてしまいました。