これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

会社は目標じゃなくて行動をマネジメントしろ

こんな時間まで目標管理について話し合っていると、いやでも頭がそっちにいってしまう訳です。どうしても、やっぱり思うのは、目標ってのは自分の意志で取り組むものだと思うんですよね。
強制されてやったところで、それが人材の成長に繋がるとは思えない。真剣に取り組む社員も居るのでは?という話もあって、それはその通りなんだけど、そんな社員は基本的に自分で目標見つけて勝手に育っていくわけで。労力対効果で考えたとき、ずーんと気が重くなる。


水準以下の社員をどうにかしたいのなら、それは行動をどう修正するかって話な訳で。それは目標を管理するのとは、ちょっと質が違うと思うんだよねぇ。行動を修正するというのは、現在どうあるべきかを問う行為であって、一方、目標を設定するというのは、将来どうあるべきかを決める行為だ。
水準以下の社員をどうにかしたいなら、それこそ、行動科学なり、クレドなりを使って、日常的にあるべき行動をインストールすることを考えた方がいいように思う。


んだから、組織として整えるべきは目標管理制度ではなく、その会社の社員の行動がどうあるべきかと、実際の行動に対する評価(フィードバック)をどうするのかってことだ、と言いたい。
もちろん、あるべき行動は時間と共に洗練されていっていいし、それに伴って評価基準も変わっていけばいい。
目標うんぬんは、上昇志向の強い人間なら自然と取り組んでいるわけで、そこに会社がタッチする必要は感じない。それによって成長するなら、それは行動の質と量になって現れてくるはずだから、そこを捉えて評価すればいいのだ。


会社にとって良い社員とは、その会社が定義する良い行動を、高い質で実行できる社員なのではなかろうか。さらには、行動の定義を更に上へと引き上げることができる社員なのではなかろうか。