これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

行動を促す目標、行動を止める目標。その違いとは。

行動とは、先行刺激⇒行動⇒結果で分析できます。
いいことが起きる、あるいは嫌なことが無くなるといった結果を学習することで、私たちはその結果をもたらした行動を繰り返すようになります。


また、私たちが行動をどういうタイミングで起こすかというと、先行刺激というきっかけを得た時です。
先行刺激とは、例えば「喉が渇いた」とか「自販機が目に入った」といったものです。
この先行刺激によって、飲料を買うという行動が起きます。


ただ、先行刺激があれば必ず行動が起きるかといえば、そうでもありません。
その先行刺激が、良い結果と関連している必要があります。
目の前から嫌いな人が歩いてくるという先行刺激は、話しかけるという行動を促すとは限りません。
というわけで、本人にとっての良い結果と関連した先行刺激でなければ、行動のきっかけとはなりません。


で、本題の目標と行動の関係についてですが、こと行動に注目して考えたとき、目標は先行刺激として機能し得ると考えられます。
例えば、何らかの数値目標を持っていたとして、その目標を目にしたり、思い出したりすることは、目標に関連した行動を促すきっかけとなる可能性があります。
ただ、前述したように、先行刺激が行動のきっかけとなるには、条件がありました。


先行刺激、この場合は目標のことですが、それが本人にとっての良い結果と関連していなければならないわけです。
つまり、目標が行動を促すきっかけとなるためには、

  1. 目標を達成することが本人にとって良いことでなければならない。
  2. 目標という先行刺激によって行動した結果、実際に良い結果が得られたという経験が必要。

なのではないかと。


目標の達成が本人にとって良いことであれば、ルール支配行動が機能すると思われます。
言語の存在を抜きにしてしまえば、私たちの行動はその直後に起きた結果のみによって選択されるようになります。
しかし、私たち人間には言語があるが故に、遅延した結果を行動と関連付けることができます。
例えば、「しっかりと勉強すれば受験に受かることができる」「地震対策をしておけば、大きな地震が来ても大丈夫」等です。
で、目標の達成も、このパターンですね。


そうすると、目標が行動を促すためには、目標を達成することによってもたらされる結果が、ある程度具体的にイメージできて、尚且つ、その結果に本人が魅力を感じていなければなりません。
加えて意識しておきたいのは、目標によって表現される行動と結果の関係に、ある程度信頼が持てなければ、やはり目標は行動を促すものにはならないだろうということです。
最近、10月28日にマヤ暦が終わるから人類が滅ぶ…という話をネットで見かけましたが、私にとっては信頼に値しないため、これに沿った行動は促されないわけです。
反対に、もし仮に信じた人が居たとしたら、何らかの関連した行動が促されたのではないでしょうか。


行動と結果の関係に信頼を感じるためには、行動して実際にその通りの結果が得られた、という経験を持つのがベストです。
あるいは、過去に類似した経験をしているとか、信頼している知識・情報との一致度が高い等も効果があるでしょう。


最後にもう1つ、目標が行動を促すためには、本人にとって、行動すれば目標の示す結果に近づくことができるという経験あるいは自信が必要です。
これは目標の難易度を意識しなければならない、ということです。
最悪なのは、行動してもしても全く目標に近づいている感じがしない…というパターンでしょうか。
行動しても変化が起きないと、その行動は次第に実行されなくなります。
行動すれば変化が起きるという状態を作るためには、やり方やプランなども重要になりますので、単に目標だけの問題ではないのですが、本人にとって難易度の高すぎる目標では、適切なやり方も見つけられません。
よって、目標の達成に対して、ある程度自信や自己効力感が持てるような難易度設定をしておくことは、行動を促すという観点からは大切であるように思われます。


まとめ。
行動を促すための目標設定の要点は、

  1. 結果が具体的であること
  2. 結果に魅力を感じること
  3. 行動と結果を繋ぐ信頼できる根拠があること
  4. 自信や自己効力感が持てる難易度であること
  5. 変化を確認できる指標があること

でしょうか。