行動分析学の創始者B.F.スキナー博士曰く、
「人は過去、好子(こうし)を得た行動を、 いままさに実行せんとするとき、生きがいを感じる」。
これは私の大好きな言葉で、わかりやすく表現すると
今までの人生で喜びを感じた行動をやろうとするとき、
再びその喜び味わう期待に胸が躍る
といった感じでしょうか。
人の行動について考える時、私たちはこの言葉から学ぶべきことがあります。
私たちが行動に積極的になるには、1つ1つの行動に対して「喜びを得たことがある」という経験が必要です。
家族が、友人が、部下が、生徒が、そして自分が当たり前の行動をしたとき、一体、何を得ているのでしょうか?
大抵は何も得ていません。
当たり前だから、やって当然ということです。
では、当たり前の行動をしなかったときは、どうでしょうか?
大抵は「痛み」を得ます。
怒られたり、罰を受けます。
でも、よく考えてください。
このやり方は一体、人にどんな行動を学習させているんでしょうか。
人は痛みを避け、快楽を得ようとします。
怒る側の論理は、「怒られるという痛みを味わったんだから、次回からそれを避けるためにちゃんとやるだろう」といったところでしょうか。
でも、痛みを避ける方法は様々です。
怒られないように、無難に無難に行動するかもしれません。
怒られないように、怒った人との接触を先延ばしにするかもしれません
怒られないように、その場を凌ぐために嘘をつくかもしれません。
怒られないように、疎遠になったり、会社や学校を辞めるかもしれません。
当たり前のことを当たり前にやる。
それを実現するのは、意外と大変なことなんです。
どんな行動に、どんなタイミングで、どんなフィードバックを返すか。
当たり前の行動を身に付けるために、の正否を分けるポイントと言ってもいいでしょう。
"当たり前"に"喜び"を。