これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

占いを信じてもいい。上手く活用できるなら。

血液型占いってありますよね。
実は血液型って、私たちの性格に影響を与えます。
といっても「間接的に」ですが。


例えば、A型の人は○○だよね〜、B型の人は〜・・・という会話って、あちこちで聞いたり、言われたりします。
日本の社会は、血液型にもとづいた言葉のやり取りが日常化しているわけです。


そうすると、私たちはその言葉から影響を受けます。
私はA型なのですが、
A型の人って几帳面だよね〜、と言われれば、ああ、もしかしたらそうかもな・・・、と自分の几帳面な側面に注目したりします。
あるいは、そういうセルフイメージが作られたりもします。


占いやその他の性格診断、適正診断についても同様です。
その結果のどこかに納得できるところがあるのであれば、それはその人にとって納得できるだけの「何か」があったということです。


私が注目したいのは、実はその「何か」の方なのです。

ある言葉が気になるということは、
それ相応の理由が自分の中に存在するということです。

それを手がかりに、自分の中を掘り下げいくことができます。


少し話は変わりますが、私は以前、スピリチュアルや宗教、占いは嫌いでした。
それらに依存してしまう人たちがいるし、そう仕向けている人たちもいます。
とても危険だな、と感じています。


でもよく考えたら、そういうものは世の中に溢れています。
自己啓発セミナーもそうだし、コーチングや科学や人間関係ですらそうです。
人を幸せにすることもあれば、人生を破綻させてしまうこともあります。
要は、それを使う人の「在り方」の問題なのです。


そしてこれが一番伝えたいことなのですが、結局のところ、

私たちは何からだってヒントを得ることができるのです。


いまはもう、占いだろうと宗教だろうとスピリチュアルだろうと、何でもいいやとすら考えています。
それを提供する人の在り方が、受け手の自立と幸福に必要なものを渡そうとしているのであれば、そしてそれで実際に受けてが幸せになるのであれば、それでいいんじゃないかな、って思います。


まぁ、ぶっちゃけ科学も突き詰めていくと訳の分からないことになります。
物理学の量子論なんか、オカルトと見分けがつかないです(超ひも理論や膜宇宙の話はもうSFですね^^;)
観測できない世界に突入するので、現象を上手く解説できる「解釈」が採用されます。
しかも、正しそうだからという理由よりも、使いやすそうだからという理由で。
もう正しさを求める時代では無いのかもしれません。

手段の正当性から、目的への効果性が優先される時代へ。


行動分析学だって、セラピーの分野に適用していった結果、仏教と同じところに至っています。
もしかすると、人を幸せにするものの根源は同じなのかもしれません。
その表現方法に、様々なバリエーションがあるだけなのかもしれません。
ならば目的を共有できる人と共に、山の頂に至る選択肢を、複数提示できた方が良いでしょう。
どの道が登りやすいかは、人それぞれですから。


私は私で、山の頂に至る道を全力で切り開きます。
ただその道は、時々別の道と交差していますし、最終的にゴールに行き着いたらばったり出会ってしまった、何てこともあるかもしれません。
とても面白いな、って感じています。
楽しくなってきました。
この楽しさが、皆さんに伝わると良いのですが。


ちなみに血液型占いが人の行動にどう影響を与えるか、もう少し詳しく知りたい方は下記の本をお薦めします。