これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

自由への近道は「できた!」を手に入れること。

成果と能力は、通常、関連しています。能力が高ければ成果を得やすくなりますし、能力が低ければ成果はなかなか得られません。

もちろん例外もあって、能力が低いのに成果が出てしまうケースや、能力が高いのに成果がでないケースもあります。というのも、短期的な成果には偶然性の与える影響が大きいからです。能力が低くても、たまたま成果が出ることもあるし、能力が高くても、たまたま成果が出ないこともあるわけです。

 

ただ、一時的な成果ではなく、成果を出し"続ける"ことを考えると、やはり能力と成果は概ね比例します。ちなみに「概ね」と書いたのは、偶然性の影響を完全に排除することはできないからです。

こう考えると分かりやすいかもしれません。

  • 能力が低い = たまたま成果が出る可能性が低い
  • 能力が高い = たまたま成果が出る可能性が高い

  

さて、少し話が逸れます。このブログでは『僕たちの自由』について語りたいわけですが、自由とは何か、改めて考えてみましょう。

僕は、「自由とは、僕たちが自分で選べること」だと考えています。時に僕たちは、あまり選択の余地がない状況に置かれることがあります。例えば、

  • 毎日、会社に朝9時までに出勤しなくてはならない。
  • やりたくないけど、この仕事を受けなくては来月の生活費が賄えない。
  • 苦手な人のいる職場に毎日通わなくてはならない。

などの状況です。このように何かを強いられている時、僕たちは不自由さを感じます。

 

ところが、同じ状況に置かれても、人によっては全く違うアプローチをとることができます。

例えば、来月の生活費に不安があったとしても、もしビジネスに関する能力があれば、それで稼ぐという選択肢を持つことができます。ビジネスはできなくても、料理ができれば食費をうまく節約できるかもしれません。

状況に合わせてできることがあれば、状況に流されるままになるのではなく、何かしらの工夫を入れる余地が生まれます。能力は、僕たちに選択肢を与えてくれるのです。僕たちは自分で何かを選ぶことができる時、幾ばくかの自由を手にすることができます。

 

 

また、成果を出すことができると、置かれた状況により大きな影響を与えます。選ぶことができるだけでなく、それを成果へと繋げることができれば、状況自体を改善していくことができるわけです。

頑張ることや努力することは大切ですが、それだけだと時とともに流れていってしまいます。あの時は頑張ったなぁ…でも、結局今は…だと悲しいですよね。

頑張ったことが形となり、新たな状況のきっかけとなるためには、成果を出すことがとても重要です。身も蓋もないかもしれませんが、やはり、「頑張った経験よりも”できた経験”の方がインパクトが大きい」のです。

そして、成果をもたらしてくれるものも、最初に述べた通り能力です。能力を高めることは、僕たちが自由を手にするために欠かすことができないことの一つなのです。

 

 

では、能力とは何でしょうか?

能力とは、「何かをできる力」であり、「何をどうすればどうなるか分かっていること」です。単に知っているだけである知識とは、一線を画しています。

知識と能力の違いは、学びのプロセスを考えてみるとハッキリと分かります。学びのプロセスとは、

  1. 知っている(知識を手に入れた)
  2. やってみる
  3. できた(能力を手にれたかも?)
  4. 分かった(能力を手に入れた)

の4つですが、このうち3〜4に達したものが能力です。つまり、知識と能力の間には、常にやってみる=実践という壁が存在しています。

実践してみると、「できなかった」という体験もしますが、それ自体もできるようになるためのプロセスの1つです。できなかったという体験が、何をどうすればどうなるかという生きた知識をもたらしてくれます。

それも含めて「能力」なのです。

 

繰り返しますが、能力を高めることは僕たちが自由を手にするために、欠かすことのできないことの1つです。その能力を手にするためには、どうしたって実践という壁を超えざるを得ません。

失敗もあるかもしれませんが、結局は、「実践を増やしていくことが自由への近道」なのですね。