これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

やる気のない部下、やる気のない子供をどうすればいいか?

Q. やる気のない部下に困っています。
Q. 子供がやる気をみせません。どうすればいいでしょうか?

 

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photo credit: Alex E. Proimos via photopin cc

 

支援・教育する側の立場として、相手のやる気が無いというのはとても困りますよね。

反応の薄さや消極的な姿勢に途方にくれたり、苛立ちを覚えたりするものです。もっとやる気を出してくれればいいのに、もっと主体的に自分から動いてくれればいいのにと思うものの、現実はなかなかそうはなりません。

僕たちの思いとは裏腹に、現実がそうなってくれないとしたら、もしかすると僕たちの思いがこの世の理からちょっとズレているのかもしれません。

 

学び手は常に正しい

行動分析学に「学び手は常に正しい」という言葉があります。僕たち支援・教育する側にとって、学び手の反応の質は僕たちの支援・教育の質とイコールだ、という考え方です。

学び手が常に正しいのだとすれば、間違っているのは僕ら教え手の方になります。何とも厳しい考え方ですが、いずれにせよ今の支援の仕方は効果が無いのですから、僕らとしては今までと違ったやり方を取る必要があるでしょう。

 

改善の第一歩として、次のことを念頭に入れておくと良いかと思います。

支援・教育する側からみた部下や子供のやる気の有り無しというのは、単なるラベル貼りでしかありません。彼らの行動、態度、言葉等の振る舞いを観察した結果、「この振る舞いのことを、”やる気が無い”と呼ぶことにしよう」と決めただけのことです。

僕たちは相手のやる気の無さを問題にする時、やる気を彼らの振る舞いの原因に仕立て上げています。しかし、実態としては「やる気」というのは原因ではなく結果です。消極的な振る舞いという結果に対して、やる気が無いというラベルを貼って分かりやすく表現しただけなのです。

ですので、やる気が無いという言い方は、彼らの現状を表現するのには使えるかもしれませんが(それでも非生産的ですが)、問題を解決するための原因として扱うことはできません。

 

具体的な行動にフォーカスを当てれば支援の質はグッと高まる

もっと行動にフォーカスを当ててみましょう。

彼らがどんな具体的な行動を、どの程度の頻度で実行していたら、僕たちは彼らのやる気を感じられるのでしょうか。やる気が無い問題を、もっと具体的な行動の問題に落とし込んでください。

行動には必ず原因が存在していますので、分析することで改善の打ち手を見つけていくことができます。分析という難しい話でなくても、その行動を支援するためにできることは何かを考え、実行してみてください。

 

やる気のようなラベルではなく、具体的な行動にフォーカスを当てられれば、僕たちの支援の質はグッと高まります。

きっと僕たちは、自分の支援の質が高まったことを、部下や子供らの反応の質が改善していくことで実感できることでしょう。支援の質を高めれば、彼らがやる気を出してくれます。学び手は常に正しいのですから、教え手の正しさを彼らが証明してくれるわけです。

それはきっと、僕たちにとって、やりがいや嬉しさを感じさせてくれる出来事だろうと思います。