これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

目標って持ってないとダメですか?(⇒行動に与える影響から判断しよう!)

Q. 目標って持ってないとダメですか?

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photo credit: HikingArtist.com via photopin cc

もうすぐ新年ですね!新しい年が始まると目標を立てる方も結構多いかと思いますが、目標って何のために立てるのでしょうか?僕は行動分析学が大好きなので、目標も「行動」という観点から捉えてしまいます。

目標とは行動にどのような影響を与えるのでしょうか。それが分かると、目標を持つべきかどうかについてもハッキリとわかると思いますので、それについてお伝えしてみましょう(・∀・)

 

あなたの目標は行動の機能を変えるだろうか?

行動には「機能」というものがあります。機能とは、その行動の主体である本人にとって、行動がどのように働いているのかという意味です。

例で説明しましょう。僕はいま赤ワインを飲みながらこの記事を書いています。僕にとってワインを飲むという行動には、「赤ワインの味とか風味が口に広がる」とか「酔って気分が良くなる」という機能があります。

行動にどのような機能があるかは、本人にとって行動の前後でどのような変化があるかを観察すれば明らかです。口内に風味が広がったり、酔って気分がよくなるという変化を得られるから、僕はワインを飲むわけです。それが僕にとってワインを飲むという行動の機能です。

 

行動の機能は、行動の形態よりも遥かに重要な意味を持ちます。行動の形態とは、行動の様(さま)を示すものです。例えば「赤ワインを飲む」という表現は、行動の形態を示すものでしょう。

僕たちはしばしば、行動の形態に意味を持たせることがあります。これは、「酒を飲む」という行動の外見的特徴を見て、その意味を判断するということです。しかし、行動の意味は、その行動が本人にとってどういう機能を持つのかについて考えなければ分かりません。

僕に何かとてもつらいことがあって、それから目を逸らすための赤ワインを飲んでいるかもしれません。あるいは、僕が赤ワインマニアで、今目の前にある赤ワインの質を確かめるに飲んでいるのかもしれません。

この両者には大きな違いがあると思いますが、どちらも行動の様(外見上の特徴)からは「赤ワインを飲んでいる」だけしか分かりません。違いが見えてきません。違いを認識するためには、行動の機能を考える必要があるのです。

 

では、「目標を立てる」という行動はどうでしょうか。目標を立てることよって、ある行動を取り出した時に、その前後に何か変化をもたらしているでしょうか。それが目標を立てることの意味を考えるにあたって、とても大切なポイントとなります。

例えば、目標を持つことで、ブログを更新することに何らかの新しい機能が付加されるかもしれません。アフィリエイトで生計を立てるとか、自分の考えを発信するメディアを持つとか。

目標を持つことは、行動に有意義な機能を付加する可能性があります。その意味では、目標を持つことにはとても意味があります。だから、僕は目標を持つことを推奨しますが、一方で、形式的な目標を持つだけで行動に何ら機能をもたらさないのであれば、その目標を持つことには何の意味もありません

目標とは、いまこの瞬間に実行する行動のために存在するのです。