これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

思考は自動的に連なってゆく

メルマガに書いたネタをこちらでも。


先日、個人的に面白い行動分析学の文献を読んだのですが、そこに「ルール支配行動は刺激反応連鎖である」という記述がありました。


まず、刺激反応連鎖がどんなものかを説明します。


皆さんは歯磨きをするとき、どんな行動をしますか?

  1. 歯ブラシを手に持つ
  2. 歯磨き粉の蓋を開ける
  3. 歯ブラシに歯磨き粉を塗る
  4. 歯ブラシを口に入れる
  5. 歯を磨く

ざっと、こんな感じの小さな行動を連続させていると思います。


刺激反応連鎖とは、

前の行動をきっかけとして、連なるように次の行動が自発する

ことを言います。
歯磨きの例で言えば、「歯磨き粉の蓋を開けた」ら、ほぼ自動的に「歯ブラシに歯磨き粉を塗る」わけです。


もちろん、この刺激反応連鎖は、生まれたときから持っていた行動パターンではなく、一連の行動の最終的な結果である「歯磨きができた」という「いいこと」が繰り返されることによって、次第に身につけていったものです。


では、私たちのルール支配行動は、刺激反応連鎖の結果もたらされたものであるというのは、一体どういうことでしょうか。


ちなみに、ルール支配行動とは、私たちが自分や社会のルールに沿った行動を取りやすい、という行動の原理の1つです。
例えば、「横断歩道は青信号で渡る」というルールに従ったり、「わたしは英語が苦手」というルールに基づき、英語の勉強を避けたりすることです。


ルール支配行動が成立するためには、意識的にせよ無意識的にせよ、どこかで「ルール」を想起する必要があります。
ルールを想起することも1つの行動ですから、あるルールに頻繁に従うとすれば、ルールを想起する行動も何らかの行動の原理に従って繰り返されているはずです。


で、そのメカニズムを説明するのに、刺激反応連鎖が使えるのです。


ある外的刺激、例えば「来週英語のテストがある」という条件に対して、「うわ、英語か。英語は苦手だな・・・」という思考が、刺激反応連鎖的に自発される可能性があるわけです。


更には、他の刺激と相互に作用しあった結果、自発される思考が異なる場合もありそうです。
例えば「今は期末試験の最中で、来週は英語のテストがある」という条件に加え、「これまでの所、結構良い感じで点が取れている」という状態であれば、「うわ、英語か。でも、これさえ乗り切れば・・・」という思考が連鎖的に自発する可能性もあります。


どのような思考(ルール)が連鎖するかは、これまでに学習した行動(思考?)パターン次第、と言ったところでしょうか。
色んな刺激に対してどんな思考のクセを持っているか、普段から意識してみると、自分の持っているルールが見えてきそうです。


また、そのクセは学習した結果、得たパターンですから、修正することもまた可能です。
この辺りにも、私たちの行動を変容させるヒントがありそうですね。


つづく