これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

起こる出来事の大まかな枠組みが分かれば、僕たちはチャレンジできる。

前回

やってみるというステップに挑むときは、できることを期待するのではなく、何ができて、何ができないのかを見つけることを目的とするのがいい

と書きました。

 

当然、普通の人たる僕たちには、こんな疑問が浮かぶのではないかと…

  • できないことを前提にするっていっても、やっぱりできないのは嫌だ…

そう、できないかもしれないことに取り組むのは嫌ですよね。なるべく早く、上手く出来るようになりたいですし、なるべく早く、成果を出したいです。なのに、できないことを前提にやってみろなんて厳しいなぁと。

 

なぜ僕たちはこんなにもできないことが嫌なんでしょうか。

  • 失敗するなんて恥ずかしい
  • 早く成果を出さないと、この辛い問題が解決しない><
  • 失敗すること自体が辛い。もう失敗するのは嫌だ。
  • 上手くいかないと投資したお金や時間が無駄になっちゃう。

具体的な理由は人それぞれなので、個別に上げていくとキリがありませんね。とにかく、できないと大なり小なり嫌なことが起きるものらしい。嫌なことが起きるのだとすれば、

それは当然避けたいことですので、足取りは重くなります。"やってみる"ってのは、とても大変なことですよね。

 

でも、諦めずに、もう少し踏み込んで考えてみましょう。

できないと嫌なことが起きるといっても、いま現在、その嫌なことが起きているわけではありません。やってみる前に、できないであろうことを想定し、その結果起きる嫌なことを想像している状態です。つまり、未来を想像しているんです。

なぜ、そんな想像をしてしまうのでしょうか?なぜ、僕たちはできないと感じているのでしょうか?

 

それは、あまりにも見通しが立たないでいるからです。僕たちにとって分からないことや不確定要素多すぎることは、どうしたって嫌な感じがしてしまうんですね。

例えるなら、全く知らない土地に一人で放り出されたようなものです。土地勘もないし、知っている人もいない、地図も無い、どこに行けばいいかすらも分からない。そんなの嫌な感じがして当たり前ですよね。

 

 

昔、ウィザードリィというゲームがありました。

僕、結構好きだったんですが、ダンジョンを攻略してこい!なんて使命だけが与えられ、右も左も分からないまま、真っ暗な地下ダンジョンに放り込まれます。おっかなびっくりでちょっと歩いてみると、モンスターが現れたり、罠にかかって壁の中(!)に放り込まれたり。まぁ、いろんな怖い目に会ってしまうわけです。

でも、頑張って歩を進めていくと、徐々に地図が出来上がります。自分がどんなダンジョンにいるのか、このダンジョンにはどんな敵がいて、どんな罠があるのか。そのフロアをクリアするための見通しも立ち、不安も感じなくなります。

まさに、やってみて、できて、分かったから見通しが立つんですね。

 

このようにゲームであっても、やってみることへの嫌な感じはする。でも、ゲームだから意外と楽しんで取り組むことができる。ゲームだから。

なぜ、ゲームだと嫌な感じがしてもやってみることができるのでしょう?あるいは、なぜ、そもそも嫌な感じがそんなに強くないのでしょう?

 

それは、ゲームの構造や規則性が分かっているからです。

例えば、ゲーム中で死んでも自分自身には何ら被害はない、ということは分かっています。あるいは、そのゲームがどういうルールに基づいているかも、プレイする前からある程度分かっています。

どんなに見通しが立たないといっても、「ゲームの構造や規則性を逸脱することは起きない」と分かっています。

 

そういったことが分かっているので、ゲームの楽しさに集中して「やってみる」ことができるわけです。ゲームの構造や規則性は、ゲームの全てを教えてくれるわけではありません。しかし、起きる出来事の大まかな枠組みを教えてくれているんですね。

ゲームのプレイヤーは、「その枠組の中で創造性を発揮し、自分なりの楽しみ方や、他人を魅了するプレイ」をします。

 

 

このように、対象に関する構造や規則性が分かっていると、予測できないといってもこの範囲だよね、というのが分かります。

日本で見知らぬ土地に行っても、日本の法が適用されることは分かっているし、日本語が通じることも分かっているわけです。

ビジネスで何かにチャレンジする時も、ビジネスというゲームのルールに基いて事態が動くことは、分かっているわけです。

 

大抵のことには、ゲームのような構造・規則性があります。そして、大抵のことは、誰かがその構造・規則性を明らかにしてくれています。前人未到のものにチャレンジするのでも無い限り、程度の差はあれど、対象の構造・規則性を知ることは可能なんです。

それを見つけることができると、見通しの立たなさ加減が軽くなります。

 

構造や規則性だけで「できる」ようになるわけじゃないですが、何がゲームのルールから逸脱しているかが分かりますので、何をやったら「できない」か、事前にある程度予測できるようになります。

明らかに「できない」ことは、選択肢から排除できるんですね。例えば、僕たちが日本で道を尋ねるのに、英語は使わないですよね。

このように、対象の構造・規則性を理解しておくことは、"やってみる"ことへの心理的ハードルを下げるためにも、成果を出す可能性を上げるためにも、大変有効なのでした。

というより、ゲームのルールを知らないのに、ゲームをプレイするのは不可能ってもんですよね。