前回、
やってみるというステップに挑むときは、できることを期待するのではなく、何ができて、何ができないのかを見つけることを目的とするのがいい
と書きました。
当然、普通の人たる僕たちには、こんな疑問が浮かぶのではないかと…
- できないことを前提にするっていっても、やっぱりできないのは嫌だ…
そう、できないかもしれないことに取り組むのは嫌ですよね。なるべく早く、上手く出来るようになりたいですし、なるべく早く、成果を出したいです。なのに、できないことを前提にやってみろなんて厳しいなぁと。
なぜ僕たちはこんなにもできないことが嫌なんでしょうか。
- 失敗するなんて恥ずかしい
- 早く成果を出さないと、この辛い問題が解決しない><
- 失敗すること自体が辛い。もう失敗するのは嫌だ。
- 上手くいかないと投資したお金や時間が無駄になっちゃう。
具体的な理由は人それぞれなので、個別に上げていくとキリがありませんね。とにかく、できないと大なり小なり嫌なことが起きるものらしい。嫌なことが起きるのだとすれば、
それは当然避けたいことですので、足取りは重くなります。"やってみる"ってのは、とても大変なことですよね。
でも、諦めずに、もう少し踏み込んで考えてみましょう。
できないと嫌なことが起きるといっても、いま現在、その嫌なことが起きているわけではありません。やってみる前に、できないであろうことを想定し、その結果起きる嫌なことを想像している状態です。つまり、未来を想像しているんです。
なぜ、そんな想像をしてしまうのでしょうか?なぜ、僕たちはできないと感じているのでしょうか?
それは、あまりにも見通しが立たないでいるからです。僕たちにとって分からないことや不確定要素多すぎることは、どうしたって嫌な感じがしてしまうんですね。
例えるなら、全く知らない土地に一人で放り出されたようなものです。土地勘もないし、知っている人もいない、地図も無い、どこに行けばいいかすらも分からない。そんなの嫌な感じがして当たり前ですよね。
昔、ウィザードリィというゲームがありました。
僕、結構好きだったんですが、ダンジョンを攻略してこい!なんて使命だけが与えられ、右も左も分からないまま、真っ暗な地下ダンジョンに放り込まれます。おっかなびっくりでちょっと歩いてみると、モンスターが現れたり、罠にかかって壁の中(!)に放り込まれたり。まぁ、いろんな怖い目に会ってしまうわけです。
でも、頑張って歩を進めていくと、徐々に地図が出来上がります。自分がどんなダンジョンにいるのか、このダンジョンにはどんな敵がいて、どんな罠があるのか。そのフロアをクリアするための見通しも立ち、不安も感じなくなります。
まさに、やってみて、できて、分かったから見通しが立つんですね。
このようにゲームであっても、やってみることへの嫌な感じはする。でも、ゲームだから意外と楽しんで取り組むことができる。ゲームだから。
なぜ、ゲームだと嫌な感じがしてもやってみることができるのでしょう?あるいは、なぜ、そもそも嫌な感じがそんなに強くないのでしょう?
それは、ゲームの構造や規則性が分かっているからです。
例えば、ゲーム中で死んでも自分自身には何ら被害はない、ということは分かっています。あるいは、そのゲームがどういうルールに基づいているかも、プレイする前からある程度分かっています。
どんなに見通しが立たないといっても、「ゲームの構造や規則性を逸脱することは起きない」と分かっています。
そういったことが分かっているので、ゲームの楽しさに集中して「やってみる」ことができるわけです。ゲームの構造や規則性は、ゲームの全てを教えてくれるわけではありません。しかし、起きる出来事の大まかな枠組みを教えてくれているんですね。
ゲームのプレイヤーは、「その枠組の中で創造性を発揮し、自分なりの楽しみ方や、他人を魅了するプレイ」をします。
このように、対象に関する構造や規則性が分かっていると、予測できないといってもこの範囲だよね、というのが分かります。
日本で見知らぬ土地に行っても、日本の法が適用されることは分かっているし、日本語が通じることも分かっているわけです。
ビジネスで何かにチャレンジする時も、ビジネスというゲームのルールに基いて事態が動くことは、分かっているわけです。
大抵のことには、ゲームのような構造・規則性があります。そして、大抵のことは、誰かがその構造・規則性を明らかにしてくれています。前人未到のものにチャレンジするのでも無い限り、程度の差はあれど、対象の構造・規則性を知ることは可能なんです。
それを見つけることができると、見通しの立たなさ加減が軽くなります。
構造や規則性だけで「できる」ようになるわけじゃないですが、何がゲームのルールから逸脱しているかが分かりますので、何をやったら「できない」か、事前にある程度予測できるようになります。
明らかに「できない」ことは、選択肢から排除できるんですね。例えば、僕たちが日本で道を尋ねるのに、英語は使わないですよね。
このように、対象の構造・規則性を理解しておくことは、"やってみる"ことへの心理的ハードルを下げるためにも、成果を出す可能性を上げるためにも、大変有効なのでした。
というより、ゲームのルールを知らないのに、ゲームをプレイするのは不可能ってもんですよね。