今回はよく分からない話を書きます。なんでよく分からないかというと、それが今回のテーマでもあるし、書いている僕にもよく分かっていないからでしょうか(笑)
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僕らの思考の傾向と世界とのギャップ
正解が見つかるとスッキリする
学生時代の頃、学校のテストなんかで答えが分かるとスッキリして楽しかった記憶があります。
自分の中にある知識と問題で問われていることをマッチングさせ、まるでパズルのピースを埋めるように答えがみつかると、とても気分が良かった。何だか頭が良くなったような心地よさでした。
もちろん、反対に答えが見つからないとモヤモヤして、ああー、俺ってダメだなーわかんねぇよー、といった無力感を感じていました。
この世界は複雑すぎて正解が分からない
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さて、いきなり話は変わって、僕たちの生きるこの世界について考えてみます。この世界って、複雑で混沌としていますよね。世界のどこかで蝶が羽ばたくと、それが巡り巡って別のどこかで嵐になる…なんて喩え話があるくらい予測不可能なものです。
とてもじゃないけど、僕たちが全てを把握できるようなものではないし、恐らくその手段も無いんじゃないかな~と思います。
だって、めちゃくちゃ頭のいい人たちが取り組んでいるはずの科学においてすら、正解が分かるわけではなく、この解釈が妥当なんじゃないか…?というところで、喧々諤々と議論している状態ですので。
ましてや僕らにいたっては、一番身近で、一番情報をもっているはずの自分自身のことすらも複雑すぎて「何となく…こうかな?」程度にしか分からないです。
僕たちの「この世界を理解する能力」ってのは、悲しいかなそんなもんです。基本的に分からないし、正解を知ることもできないでしょう。
教育で得た習慣と世界とのギャップ
一方で僕たちの教育はどうなっていたかというと、冒頭に書いたとおり、学校で学んだことは、与えられた情報から唯一の正解へとたどり着くための技術なんです。なるべく早く、なるべく正確に、正解へ辿り着ける能力を伸ばしていました。(注:僕はそれが悪いことだとはこれっぽっちも思っていませんし、寧ろ恩恵の方が大きいと思っています)
そういった教育を受けたせいか、それとも人間の思考の傾向なのかは分かりませんが、僕たちは答えを欲しがるし、正解することを求めがちです。
どうするのが正解なのか?どうすれば上手くいくのか?僕たちは「○○すれば上手くいくよ!」って情報が大好きです。
僕ちは自分の生きるこの世界について”分かりたい”んですね。答えが欲しいんですね。
広大な知のフロンティア
僕たちは世界をシンプル化することで、分かったつもりになる
僕たちがこの世界について分かるためには、ある程度まで世界を単純化しなくてはなりません。単純化すると、シンプルな結論というピースによって世界のパズルが完成します。その瞬間、僕たちの脳は「分かった!」と喜びを感じるでしょう。
この世界は、僅かな数のピースで完成するパズル。あとはこの世界の中でどう生きるか、という話になります。
分からないから新しいパズルのピースを見つけられる
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でも、ちょっと待って欲しいのです。そのシンプルな結論は、僕たちに世界の真実を見せてくれているように感じるけど、それは「ある角度から見た場合の真実」であって、この世界の全てではないのです。
条件付きの真実なんですね。条件が満たされない場合においては、ほぼ適用することができない真実。にも関わらず、それで世界というパズルを完成させてしまうと、僕たちはそれが世界の全てであるかのように感じてしまいます。
でも、少し視野を広げてみれば、相変わらず「知の空白地帯」が広がっていて、新たなピースが置かれるのを待っています。
知の空白地帯を自覚すると、僕たちはモヤモヤするでしょう。分からないから。答えがないから。複雑すぎるから。
でも、分からないままでいいんです。答えがないままでいいんです。答えを保留し、未完了のままそこに置いておきましょう。それは僕たちの「新しい知の受け皿」になってくれます。
未開拓の知のフロンティアの中で生きる
この世界というパズルは広大です。一生かかっても、その一部を埋められるかどうかといったところだと思います。それはつまり、僕たちには未開拓の「知のフロンティア」が、いつだって広がっているということです。
僕たちにとって、世界とは自分の解釈に他なりません。解釈とは、僕たちの認識のパターン、知の働きのパターンです。僕たちの知に新たな可能性があるならば、それは僕たちにとって新たな世界の可能性となります。
僕たちの生きるこの世界は、もっと可能性に満ちています。あとはそれを見ることができるかどうか、ですね!